たつみ君とは?? | たつみまさし【No.001】

ぼくはモノづくり、モノ・コトをつくる人が好きな一般人です。
シンプルに「たつみくん」ってなんでそんなにモノづくりが好きなの?なんで作品を追いかけるの?っと思う人がいると思う。

今日はモノづくりが好きな理由や追いかけ続けるわけを簡単な経歴も含めて書いていく。ここから、ぼくのこと(想い)を改めて知ってもらえたらなと思う。

ぼくがモノづくりに大きく関わるキッカケになったのは、「学生時代にひねくれていたこと」と「自分の一番したかったクリエイティブができなくなったこと」の2つが大きく関わっている。

簡単な経歴

  • 名前:たつみ まさし(龍見 将司)
  • 生年月日:1989年
  • 出身校:大阪工業大学 空間デザイン学科 → 創造社デザイン専門学校 夜間WEB専攻 卒業
  • 卒業後:デザイン制作会社 → インハウスデザイナー(主に広報物制作・イベントツールの制作)→ NPOや地域活動団体に向けての広報相談員。
  • 現在:NPO団体や地域活動団体の広告をつくりながら、作家さん・クリエイターのお手伝い(DMや販促ツールの制作、展示の搬入、搬出、販売補助)を行っている。

たつみまさしについて【 大学生 – 編 】

ギャラリーや展覧会という場所にいきだした理由は大学時代にある。
そもそもをいうとぼくは、美大や芸大出身ではない。
ぼくは工業大学で空間デザイン学科に入学し、主に2回生までは建築をメインに勉強をしていた。図面をひいたり、模型をつくったり。建築学科とは違い、空間デザイン学科は割と設計的な可能・不可能を考えるよりも、面白いデザイン・新しい建築の発想を考える学科だったと僕は思っている。

もちろん機能性を重視する人もいたけれども、「面白い・面白くない」で評価されているように大学生の時の僕は感じていた。僕の作品は授業の評価としてよくなかった。

僕はシンプルに納得がいかなかった。授業を受け持つ3人の先生に評価されて、それで自分の作品が「面白くない」と言われることが嫌だった。大学の授業という狭い世界の評価で価値が決まることに意味がわからなかった。※今考えるととてもひねくれている。
僕は、自分の作品をまとめて、それを常に持ち歩くようになった。キャリーバックにいれてゴロゴロと。スケッチブックに書いたラフ案も一緒に。

どこで、誰に見てもらえるかを考えた時に、展示をしている人のところに行けば、作品について語ってくれるかもしれないし、自分の作品を見せた時に意見をくれるかもしれない。そういう思いがあってギャラリーという場所にあしを運ぶようになった。

「作品を持ってギャラリーにあしを運び続けることには意味がある」と確信したのは、大阪の曽根崎にあったギャラリーアルテスパーツィオで精華大学の同い年のイラストの子に出会い、そこで作品について「ここはダサい。これはいい。あーしたらよくなる、こうしたらよくなる」をとことん話したことにある。そんな話は大学ではできなかった。だからこそ凄く嬉しくて、楽しかった。

そこから僕のギャラリー・展示巡りというのが始まった。ギャラリーや展示をみに行っていろんなことを見たい。いろんな考え方を知りたい。いろんな人と話してみたい。いろんな発想を知りたい。楽しいと感じる時間を増やしたい。それが作品をみにいくというキッカケになった。

たつみまさしについて【 社会人 – 編 】

専門学生時代はとにかく、参加できる限りアートにまつわるイベントにボランティアスタッフとして参加をした。京都みやこメッセartDiveや奈良町家の芸術祭Hanart、合同企画展ONSA、ツムテンカク…。その経験もあって運営という視点からモノづくりを発信する事を感じれた。あとこの専門学生の時に、「デザインとは」何を良いと判断するのか?一般人なのか、それともプロという立場が判断するものなのかっていうことが知りたくて、雑誌に載っているデザイナーさんやこのデザインが素敵だなぁと感じたモノをつくっている人にメールや電話で連絡をして、会いに行っていた。

さて、ぼくが就職したのは東京の会社で主にCM制作とWEB制作を行っている会社でした。ぼくにとってグラフィックデザイナーという職業は憧れだった。

そう19歳くらいからの憧れで、もっとも自分がなりたいと追い続けていたモノ。

自分なりに嬉しくて、一生懸命頑張った。でも頑張ろとうという思いが強すぎて、自分の体調の変化に気づけていなかった。田舎育ちだったぼくは、東京という土地に馴染めなかったのと、仕事の疲労でストレスがたまり街中で倒れてしまった。そう目黒の真ん中で。

ぼくは病院で環境性パニック障害と診断された。これをキッカケにパソコン作業が長時間できなくなり、パソコン作業をしていると、パソコン画面がグルグルまわりだすというトラウマ障害が起きるようになってしまった(目が回って気分が悪くなる※今は自分で上手に調整して作業すれば起きない)。好きで作業をしているのに、気分が悪くなる。その時は、凄くショックだった。だってデザインをすること、カッコイイものをつくることがぼくの憧れだったから。

「あー、ぼくはもうデザインができないんだ」そう感じた時が、一番悲しかった。今なら他に関われる方法はないかな?と考えることができる。でも当時は、これがぼくの生きる道って思っていた。ぼくのしたかったクリエイティブはできない。そう思い込んでいたことが一番辛いことだった。

でもこれをキッカケに、モノづくりやモノ・コトをつくり続けている人がいっそう好きになったと言える。

自分自身がつくれなくても、モノ・コトをつくっている人がいる限り、自分が楽しめる世界がそこにはある。ぼく自身が楽しみたいし、この世界は〝ぼくらしく〟いれる世界だと感じる。だからモノづくりをする人たちが、どういう風に歩んで行くのかをみて行きたい!そしてそこにぼくにできることで、少しでも関われたら嬉しいなって思う。

だから、ぼくは自分の好きな作品やモノづくりをしている人を、追いかけ続けている。これがぼくがモノづくりをみている理由。

ぼくにできることはなんだろう?まだまだ模索中だけど、でも自分から動かないと何も変わらないので、どんどん動いていこう。そう思う。

ぼくが、このサイトを通してできたらいいな!って思うことは下記ページで書いています。もし少しでも興味をもってもらえたら、読んで頂けたら嬉しいです。

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