モノをつくる人に『無責任な人』なんていないと、僕は思っている。それが自己表現であっても、展示するためであっても、売るためであっても。そこには変わりはない。
前野めり(以下、めりさん)さんと言うとやっぱり
「人生に失敗しているので、作品に失敗はありません」という言葉の印象が強い。
他人からみると、なんて大それたテーマなんだろうと思うかもしれないけれど、この言葉にこそめりさんにとっての〝作品をつくるというコト〟の「責任感」を伝えてくれているようだと僕は思う。
責任感に負けるロック魂
めりさんは責任感を、感じやすいタイプだ。
そう。なんと言っても、根がそもそも真面目なのだ。
展示に向けて作品を作りながら「だるいなぁ」「めんどいなぁ」とか言いつつコツコツコツコツ つくり続ける。
めりさんの面白さは、なんといっても
「ウェーイ!」みたいなロックテイストの軽いノリ(そういう勢いで、とても面白いことをつくっていく人)だと思うのに、時に真面目になりすぎて、それが消え失せてしまう。
「もう幸せな家庭を持つのん無理やから、こうなったら親が元気なうちはスネかじって制作するわ!」とかいいながら、しばらくすると、人としてちゃんとせなって週に2、3日アルバイトに行きだしたりする。(そして無理して体調壊す。)
僕に連絡なんて日頃こないのに、LINEで「オーナーさんに今回はこんなことを期待されている」っとか、前回こんな人が見にきてくれて「こんな風にしたらいい」って言われたからとか、ここで展示するんやったら「こんな作品どうやろか」とか言い出すと、『期待に答えなければいけない!』という責任感に飲み込まれている証拠である。
だからこの先、めりさんとお仕事をする人に伝えておきたい。
めりさんに助言を求められて返事をする時は「適当でいいんちゃう?」くらいがちょうどいい。
そしたら、めりさんは「あざます!」という返事と共に、自分らしい答えを自身で見つけ出します。
それが一番めりさんらしくて、素敵な結論です。
「叫ばな!」ってなるねん
僕が最近思うことは、めりさんの原動力は求められた「責任」に答えることなんじゃないかな?と思う。それは、作品をつくることだけではない。家庭においても、趣味においても、いろんな場面で言える。
「私のこんな、よーわからん人生なんてさ、笑ってもらってなんぼのもんやん」とよく言うけれど、僕から見たらめりさんは自分のことをしっかりと分かっている。めりさんが「まっとうせな!」という言葉を使うのも、それはめりさんが自分自身のコト・役割をしっかりとわかっていて、自分の制約の中で生きているからだと僕は感じている。
めりさんの作品はそんな生活の中での「やってられるかー!」という反動の叫びが表現されている。限界突破というか、洗練された声というか…そういうものがカタチとなって現れている。
めりさんの「叫び」は鳴り止まない。
そう知ってるからこそ、これから先も楽しみでしかない。
続く…
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